はじめに
日本で唯一、科学的検証を経て国際的に認められた隕石クレーターが存在する1。長野県下伊那郡上村赤石山系、御池山の一帯に、山の地形に埋もれるように残っていた御池山隕石クレーターである。この隕石クレーター遺跡は、当時付近の小学校に教員として勤めながら周辺の地質年代について調査していた坂本正夫氏(1948〜)の地道な調査によって、2010年に発見された。
もともと、複数のプレートがぶつかり合う境目に位置する日本列島は、地殻の変動が激しく、降水量も多いので風化作用が早い。そのため過去に隕石が落下し、その跡がクレーターになったとしてもすぐに浸食されてしまいなかなか発見されにくい。世界各地で発見されている隕石クレーターの多くは風化作用の少ない乾燥地域で発見されているものであり、山中から隕石クレーターが発見された例は極めて少ない。
御池山隕石クレーターの発見は、様々な偶然によってもたらされた。発見者の坂本氏は、御池山周辺で10年の年月にわたって秩父帯という地帯構造を研究する中で、周辺地形の違和感から隕石クレーターを結びつけるに至った。
飯田市美術博物館から坂本正夫氏の執筆による『御池山隕石クレーターって何だろう?』2という図録が発行されている。この図録では、山の中から隕石クレーター遺跡が発見された軌跡が、その手探りの調査方法から詳細に記録されている。
本稿では、図録の内容や坂本氏本人へのインタビューの内容を交え、地図上の隕石クレーターの表象の分析と現地での地形の経験を軸に、山の風景のなかに隕石を認識することはどのようなことなのかを考察する。実際に御池山隕石クレーターを訪れると、地形のほかに、地図や案内看板などの複合的な要素が混ざり合いながら、山の風景が徐々にクレーター遺跡へと変容していく。これは、御池山隕石クレーターが、全体がクレーターではないからこそ起こる。この隕石クレーターは、訪れる者にこの景色の中に隕石を見ることができるかという問いを内包している。本稿は、山の中から隕石クレーターを取り出してみせた研究者の足跡を追いかけながら、この土地の問いかけに筆者が応答するものだ。
1. クレーターの幽霊
8月中旬、御池山のある標高1900mのしらびそ高原周辺は真夏でも涼しい。坂本氏へのインタビューは、同氏の運転する車に同乗させてもらい、一緒に御池山まで登って道中の地形を見ながら行うことになった。飯田駅から1時間ほど車を走らせて御池山頂上の尾根付近に着くと、まず坂本氏がなだらかな凹凸の地面が続く一帯を指差す。「ここが一番の山の尾根のはずなのに、むこうに山が見えるでしょう」。坂本氏にそう言われて見上げると、尾根の傾斜の向こうに、大気に少し霞んで小さな丘のような盛り上がりが顔をのぞかせている。その手前の地形も、直径10mほどの浅い穴が空いたように窪んでいて、窪みと小さな丘がいくつも続いているように見える。このような尾根にできた凹凸の地形について、坂本氏は「こんなことは普通じゃありえないんです。こういう小さな凹みのようなものや丘が不規則な地形が尾根の後ろに半円形に取り巻いているのは、地すべりでも崩落でも火山でも断層でも説明ができない。私が一番注目したのは、どうしてこういうくぼみや丘が不規則についているのかということでした。そこからどうしたらこれを説明できるのかを調べ始めました」と語る3。御池山の地形は、はじめにこの尾根をとりまく不自然な凸凹地形の謎を解き明かすために坂本氏の研究のフィールドとなった。坂本氏はこの窪地の様子を等高線の上から記していったという(図1)。そして、この窪地の配置をもとに、地図上にクレーターの「あたり」として円形が引かれたことから、クレーター調査は始まった。
図1(『御池山隕石クレーターって何だろう?』p.5より)
坂本氏は地図に円形を書きつけたときのことを図録にこのように書いている。「御池山の近くまで地質調査をしてきましたが、そこにある凸凹地形が気になって調査が進みません。月のクレーターからヒントを得てすぐさま2万5千分の1地形図「光岳」を取り出してきて、コンパスで、ある一点を軸にして、御池山の周りに円を描いてみました。するとまん丸になったのです」4 。図録には坂本氏がコンパスで地図に円を書きつけた跡の写真が残っている(図2)。
図2(『御池山隕石クレーターって何だろう?』p.6より)
写真をよく見ると地図にコンパスの針先を挿した時の小さな穴が空いており、そこから御池山の尾根の一部分の丸みにちょうどかぶるように円形が書かれている。坂本氏は、このときのことについて、「ふと、地球上の原因で(凹凸地形の連続が)説明できないなら、もしかすると宇宙から降ってきた(隕石の)クレーターなんじゃないかと考えて、クレーターなら丸いから、コンパス持ってきて丸くすればそうなるんじゃないか。もしかしたらインパクトクレーターかもしれないと思ったのが発想の一番最初だったんです」と語る。
坂本氏が円を書きつけた地図と同じ縮尺2万5000分の1の光岳周辺の地図を印刷して、同じ位置に円をコンパスで書いてみる(図3)。地図の上で何回かコンパスを空で回しながら位置を探り、中心点を決めて線を引いてみると、尾根沿いの登山道が描くゆるやかなカーブがうまく円弧の上に乗った。そして地図上には、円の中心点となったコンパスの針穴が等高線の間に残されていた。地図に円を描くための針を降ろすことで、インパクトクレーターの中心地が、それまでは何の印もなかった山の斜面に仮置きされている。円とその中心点が置かれた地図を見ていると、中心点が引力を帯び始め、周囲の等高線も円の中心方向に向かっているように見えてくる。地図上に足された円の輪郭が、そのなかに囲われた地図上の等高線を円の中に引き込んでいる。
図3
地図に書きつけられたこの円形の「線」は何なのだろうか。図録に載っている説明用の図では、円形の線が点線として区別され、地図上の実線と交錯している(図1)。ジェームズ・ギブソンは、『生態学的視覚論』のなかで、表面(surface)と異なり、平面(plane)は透明で実体がなく幽霊のようなものだと呼ぶ56。ティム・インゴルドはギブソンを引きながら、このような平面上に限りなく細く引かれる、幽霊のごとき線(line)と呼べるものとして、以下の線を挙げる。「三角測量点を結びつける測量線や、緯度経度の格子、赤道、回帰線、南北極線などの測量線もまた幽霊のラインである。それらはまるで、私たちが点と点のあいだにぴんと張った糸を渡したり、点と点のあいだの弓状の迷路を巡ったりしたかのようであり、地球を計測する最も古い試みのなかにすでに見出される」7。地図に引かれたクレーターのあたりとしての円形は、まさにこの「幽霊のライン」である。
地図上の幽霊のラインは、実在しないものや失われたものにも自由に、どこへでも引くことができる。そして、そうした線はその幻があって初めて実際に地形の中に見えるものをもたらすことがあるという点で、現実に介入しうる。平面図のなかに山の高低差を表現する等高線の上に記された、半円状に並ぶ不自然な窪地の連続は、それらを表す線が先行してクレーターを表現していると言える。そこに、上から円がガイドラインとして書き足され、統合されることではじめて、そのラインがあることによってしか導き出されない地形への道筋が開かれる。それが、隆起の激しい山中にその片鱗を幽かにとどめていた御池山隕石クレーターだった。クレーターが地図に幽霊のラインを書きつけた跡をたどって調査は開始された。御池山隕石クレーターは、まず線だった。
2. 衝撃波が描く蜘蛛の巣
クレーターを作った衝撃波は、地形に円形以外にも線を書きつける。クレーターのあたりを取った後、坂本氏はその見立ての裏付けとなる、隕石の衝撃波の記録を刻んだ石を探す必要があった。クレーターのふちを成す尾根の下には、飯田市上村の下栗の里から同村のしらびそ高原まで続く全長約14kmの南アルプスエコーラインが走っている。全国の山岳道路の一部にしばしば名付けられる「エコーライン」だが、御池山周辺においては、隕石の衝撃波の「エコー」を通り抜ける道路である。御池山の下を通るエコーラインには、道中で見られる御池山隕石クレーターの痕跡や、周辺の地質的特徴についての解説が書かれた情報看板が10数か所に設置されている8。クレーターのふちが始まる尾根の下あたりの、地表から露出した岩の前に設置された立て看板には、「隕石の衝突により衝撃を受けた泥岩」とキャプションがついていた(写真1)。
写真1(撮影:筆者)
ここで坂本氏に車を降りるように促され、道路に面した高さ3mほどの巨大な岩の前に二人で立つ。坂本氏は看板の前のこの亀裂の入った岩を見ながら、「衝撃波っていうのは、でたらめの割れ方ではなくて、瞬間的に同心円状と放射線状の割れ目を作るんです」と語る。このとき、「どこかで覚えはないですか?」と聞かれた。眼の前の岩の割れ目に似た事象を考えながら逡巡していると、「窓ガラスに石をぶつけた時みたいに。それと同じなんです」と教えられた。記憶のなかに、ガラス面など割れやすい平面の一点に強い衝撃が加わったときの、蜘蛛の巣のような模様が現れる。そのまま岩の様子を亀裂の向きに注目して改めて見てみると、クレーターの中心に向かう縦の亀裂と、それを横切るように走る横の線が見え始め、目の前の亀裂が「全体の一部」としての亀裂の線へ統合される。もっと規模の大きな、直径50kmを超える巨大な隕石クレーターになると、この亀裂自体が断層をなすという。エコーラインを進んでいくと、他にもところどころ露出した岩面に走る亀裂が観察でき、それらの割れ目はクレーター中心部に向かっている。話を聞きながらエコーラインを通り抜けるとき、岩の亀裂を見ることを通して、かつて蜘蛛の巣状に大地を割った力に身体が貫かれていく(図4)。
図4(イラスト:筆者)
御池山隕石クレーターの図録には、クレーターの円に蜘蛛の巣状にできた亀裂の跡が書き足された地図が載っている。この地図には、クレーター中心点からピザのように16等分された円がガイドとして書き込まれ、上から地表に露出した十数か所の岩石から観測された、中心方向に向かって放射状に割れた亀裂(青線)と、同心円状に割れた亀裂(赤線)の記録が書き込まれている(図5)。
図5(『御池山隕石クレーターって何だろう?』p.33より)
亀裂は、衝突の開始地点からその威力を地表面の抵抗力が吸収しきるまで端へ端へと走っていく、運動そのものが残す軌跡だ。クレーターを示す円形の幽霊のラインに、同心円状の幽霊の亀裂がさらに書き足されることで、円の内部の地表で起こった動きが地図上に再生される。
御池山には、隕石そのものは落ちてきていない。隕石落下の際、大気圏に突入しながら石はほとんど溶けて無くなり、残った衝撃波が地面を叩きつけ、えぐり取った。そのため現在まで落ちてきた石は見つかっておらず、衝撃波が地形や地表に残したエフェクトのみが隕石の存在を記録している。また、周辺地形は隕石落下から3万年近く経過し、山脈の隆起や浸食の作用によってクレーターの原型はほとんど失われているため、観測できる地形の様子から失われたエフェクトを補完してクレーターの全貌を描いていく必要がある。地図上の円や蜘蛛の巣は、失われたエフェクトの仮置きから、実際の地形を検証するために必要な幽霊のラインである。地図上に落とし込まれた幽霊のライン、隕石衝突の全体を掌握可能にする上空からの目線と、現地で地形の起伏や亀裂を見ることの往復が、実体のない隕石を山の中に降ろす。
3. 隕石のファントムと推し量る身体
幽霊のラインが描かれた地図を見ながら御池山を歩くということは、隕石クレーターの全体を認知することが不可能な山中において、認識上、クレーターの外部へ遭難しないようにするための道しるべでもある。山中で隕石のエフェクトを経験するためには、今自分がいる場所がクレーターの内側か外側かを把握する必要がある。御池山で見られる地形はどこからどこまでが隕石の衝撃波による沈降のエフェクトなのか、山脈で起こる隆起や浸食作用のエフェクトなのかわからない。ただ、幽霊のラインによって区切られた円形のクレーターの内部においては、どちらの力もその領域内に働いている。クレーターの内部においては、いかなる地形の起伏や岩の亀裂も、クレーターのエフェクトとして推測されても良い。御池山隕石クレーターの、隕石クレーターとしてのユニークさは、上空からの力と地中からの力によって歪んだ地形を地図を見ながら一緒に経験することで、見えない隕石の気配とともに山を歩けることにある。
ここで地図上の幽霊のラインと実際の地形を見ることを通して描き出される隕石の気配を、隕石の「ファントム」と呼んでみる。エコーラインから見えるクレーター特有の地形は、クレーターの円形が書き込まれた立て看板の地図と照らし合わせられており、衝撃波の残したエフェクトが山の風景とほとんど同化した現場で両方を見ることができるようになっている。地図と実際の風景の往復から隕石のファントムを感じるとき、何が起こっているのだろうか。
隕石のファントムが感じられるとき、幽霊のラインと地形の照合から、現象を「推し量る」という過程がある。「推し量る」とはある事柄を、知っていることやわかっていることをもとに推測することだ。例えば、ある窓ガラスが割れた時の亀裂を見れば、その中心の形や大きさの様子から野球ボールのようなものが当たってできたものなのか、銃弾のようなものが高速で当たってできたものなのか大体見当がつく。亀裂は常になんらかの現場だ。隕石クレーターの断片から隕石の衝撃を推し量ることは、地図上の幽霊のラインを見て、自身が隕石クレーターのどの事象の内部にいるのかを把握しながら、立っている場所がどんな力の下にあるのかを想像するときに起こる。地図上に、なぜ等高線を乗り越えて正円や蜘蛛の巣のラインが描けるのかといえば、隕石衝突の衝撃が、地上の多少の起伏を乗り越えてその場一帯、全体へ作用するほどのものだからだ。強力な衝撃によって作られる模様の、単純さの断片が、赤石山脈の隆起や浸食の複雑な動きに崩されながらその一端をのぞかせている。
変化した地形の現場に立って、その変化をもたらした力を推し量ること、それは観察者が跡地の様子から土地がその形になった時の動きを巻き戻しながら辿り、結果と原因を自分なりに確信しようとする試みだ。御池山では、エコーラインからクレーターの内側に向かって急峻な坂が下まで続いているところを見下ろして観察することができる。クレーターの内側と外側では斜面の角度が異なり、内側のほうがより急峻だ(写真2)。 実際にエコーラインの道路から斜面の下を覗き見ると、ほとんど崖のように切り立って見える(写真3)。
写真2(撮影:筆者)
写真3(撮影:筆者)
道路沿いのガードレールから少し身を乗り出して、斜面の角度から実体のない衝撃波が山体を穿った様子を想像する。隕石衝突は身近な出来事ではないが、実際に衝撃波が山体を削って斜面の角度ごと動かしたことは、直感的に恐ろしい。この畏怖は、クレーターの地図の等高線を眺めるだけでは起こらず、実際に斜面を見下ろそうとして体がクレーターの奈落へせり出すときに一緒に発生する。地形のエフェクトに立って、その威力を推し量ろうとするとき、体も一緒になって一つの計器のように働く。隕石のファントムを立ち上げるのが、幽霊のラインだけでも、現場に残された衝撃のエフェクトだけでも不十分であるのは、地形を前にして、地図に書かれた幽霊のラインがその人の体によって経験されることなしに、ファントムを感じることができないからだ。
隕石のファントムと共に御池山のエコーラインを周遊していると、道中にところどころ「落石注意」と書かれた看板が設置されているのが目につく(写真4)。 実際南アルプスエコーラインでは、直径数メートルの落石による道路の封鎖が頻繁に起きる。
写真4(撮影:筆者)
落石注意看板は見た人の頭上に石の気配をもたらす。隕石ではないものの、隕石衝突よりずっと可能性があり危険な小規模な石の落下は、御池山下のエコーラインで最も懸念しなければならない。隕石のファントムの気配をまとった御池山で落石に気をつけることは、どこか可笑しい。隕石とは直接関係のないものの、隕石を想起させるような落下の現象が隕石クレーターの内部に混入している状態になっている。隕石のファントムは、こうした落石注意看板も取り込んで、御池山を訪れる者の頭上に石の気配を置きながら、その姿が全て山のなかに混じりきるまで漂う。
おわりに
いま、手元の携帯を開いてGoogleマップを起動し、「御池山」と打ち込んで出てきた画面を二本の指でズームする。もう地図と照らし合わせなくともクレーターの円形が完全に見えるようになっている。そこからどんどんズームアウトしていくと、駿河湾が見え、列島の輪郭が見えてくる。日本列島の全体が画面一杯になると、隕石がちょうど列島の真ん中をめがけて落ちてきたことが分かる。同じ画面のまま、再び中央をめがけて二本指でズームインしていく……。
本稿は、御池山を訪れた際に感じた、隕石衝突の証拠となる事実だけがこの特殊なクレーターについての説明ではないという直感のもと出発した。私たちは、隕石衝突というそれ自体想像がつかないような上空からの強大な力も、地形に残した痕跡は遡行することができる。この痕跡を、私たちは拡張された視覚を動員しながら受容する。隕石のファントムは、衛星画像の上に陰りをもたらし、陰りの下に実際に分け入る者には、傾斜や亀裂の光景を通してその気配を濃く残していく。
最後に、坂本正夫氏にはインタビューに快く応じてくださった上に、御池山までの案内までしていただき、筆者の質問にも一つ一つ丁寧に応答していただきました。ここに感謝の意を表します。
- 2010年にアメリカ・アリゾナ大学の国際学会誌「Meteoritics & Planetary Science」にて御池山隕石クレーター発見についての論文が掲載された。SAKAMOTO, M., GUCSIK, A., NISHIDO, H., NINAGAWA, K., OKUMURA, T. and TOYODA, S. “MicroRaman spectroscopy of anomalous planar microstructures in quartz from Mt. Oikeyama: Discovery of a probable impact crater in Japan,” Meteoritics & Planetary Science, 45, 2010, pp.32-42. ↩︎
- 坂本正夫『御池山隕石クレーターって何だろう?』飯田市美術博物館、2011年。 ↩︎
- 坂本氏への筆者によるインタビュー(2023年8月16日実施)より。 ↩︎
- 坂本正夫『御池山隕石クレーターって何だろう?』飯田市美術博物館、2011年、6頁。 ↩︎
- ジェームズ・ギブソン『生態学的視覚論』古崎敬訳、サイエンス社、1986年、37頁。 ↩︎
- また、ギブソンは縁や隅をつくるものとして割れ目(fissure)、棒(stick)、繊維(fiber)、二面角(dihedral)といった実体についても幽霊のようなものだと呼んでいる。 ↩︎
- ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』工藤晋訳、左右社、2014年、88頁。 ↩︎
- 立て看板の解説は全て坂本氏の執筆による。 ↩︎